実際にあった“夜這い文化”…!戦前日本には驚きの性事情が!?


戦前日本の「ムラ」と「マチ」の“夜這い文化”

From:DENNY喜多川

かつての日本に“夜這い”の文化が息づいていたことは、ご存じだろうか?

夜這いの語源は「男性が求婚すること(呼ばう)」であるが、今では真っ先に、夜中こっそりと異性のもとを訪れ、性行為を行なうことだと想像をふくらませる人が多いだろう。

では、実際のところ、夜這いはどこまで許されていたのか?
研究者の赤松啓介氏は、フィールドワークと実体験を通して、戦前まで(地域によっては戦後も)確かに息づいていた、夜這い文化の実態を明らかにした。

今回はそんな夜這いの文化がどんなものであったのか、その真相に迫ってみたいと思う。

実は、「ムラ」と「マチ」ではその文化が異なり、夜這いのあり方も大きく変わっていたという。
まず、「ムラ」の夜這い文化から見ていこう。

「ムラ」の夜這い文化

「ムラ」の男子は、第二次性徴がはじまった頃から、性の対象として見られるようになった。
そうなるとたいていは、近所のオバハンが、“一人前のオトコ”にしてくれるわけだ。

オクテな息子を持った母親は、ママ友と

「アンタの息子を『オトコ』にしたるから、ウチの息子を『オトコ』にしたってくれや」

などと、スワッピングのようなこともしていた。

女子にも似たような過程があり、初潮が来ると家と“娘宿”を行き来して暮らすようになる。
娘宿は出入り自由の女子寮のようなもので、ここで年長の女子から性について学び、娘宿に通ってくる男子の相手などしたりするようになる。

性の解放については、「ムラ」ごとにさまざまな決まりがあったようだ。
全面的に男女の交わりを許す“開放型”、未婚の男女の間のみ許される“若衆型”、祭りの日などに限って性が解放される“限定型”などがある。

また、他の「ムラ」の男女をどの程度受け入れるかについても、「ムラ」ごとにさまざまなルールがあった。
ただ、おおむねどの「ムラ」においても、未亡人は性の自由を謳歌することが許されていたようだ。

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DENNY喜多川

iOSアプリ「セックスの日本史」著者。「歴史は夜作られる」すなわち、セックスこそが歴史を作ってきた、との信念に基づき、研究を続ける歴史研究者。「知っているか?人間のペニスにカリがあるのは、他のオスの精子を掻き出すためだ!」