あの有名詩人が不倫!?大正時代のラブ&セックススキャンダル


あの“偉人たち”も!?
愛に燃えた大正時代!

From:DENNY喜多川

“恋愛”という概念は元々日本にはなく、明治時代に外国から輸入されたものである。

もちろん、それ以前にも惹かれ合う男女が結ばれることはあったが、それは“野合”と呼ばれ、家同士が決めた結婚に比べると、好ましくないものとされていた。

そこに突然輸入されたのが“恋愛”である。
当時、舶来品をありがたがった明治日本人だが、恋愛と恋愛結婚にはなかなか飛びつこうとしなかった。

しかし、大正時代に入ると、一気に恋愛ブームが爆発する。
世はまさに“大恋愛時代”であった!

その背景としては、女子学生と職業婦人の誕生があった。
これまでほぼ完全に家庭に閉じ込められていたカタギの女性たちに、出会いのチャンスが生まれたのである。

抑圧された若い男女の性欲……じゃなくて恋愛欲は爆発した!
今回は、そんな大正時代の恋愛模様について紹介しよう。

姦通罪で拘留!?
詩人・北原白秋の不倫

戦前の日本には“姦通罪”という罪があった。
不倫した男女を処罰する罪だが、男性の浮気には適用されず、浮気した女性とその浮気相手の男性だけが処罰される、という男女不平等にもほどがある法律であった。

その姦通罪で処罰されたのが、詩人・北原白秋である。
彼は隣家の人妻がDVを受けているのを憐れんで、何となく世話を焼いているうちに、ついに関係を持ってしまった。

そして、怒った亭主に姦通罪で訴えられ、二週間拘留されてしまったのである。
釈放後、正式に離婚した人妻と白秋は結婚するが、白秋の両親とうまく行かず、翌年には離婚してしまった。

この姦通罪は戦後の民法改正で廃止されるが、「男女平等のために、両方罰するか、どちらも罰しないか」を巡って、激しい議論があったという。

愛に燃える女・与謝野晶子

「君死にたもうことなかれ」の詩で知られる与謝野晶子とその夫・鉄幹も、激しい愛を交わした。

詩のサークル・新詩社を興した鉄幹の元に集まった詩人たちの中に、鉄幹に激しい恋情を抱く二人の女性がいた。
晶子と登美子である。

二人は激しい恋の火花を散らすが、登美子は親の決めた許嫁と結婚することになり、身を引く。
一方の晶子は、親の強い反対を振り切って鉄幹の元に駈け落ち、二人は結婚した。

しかし、登美子の夫が病死すると、鉄幹と登美子の仲が再燃、晶子は激しい嫉妬の炎を燃やす。
だが、登美子が死去したことで、晶子はようやく鉄幹を自分一人のものにできた。

ところが、その晶子も鉄幹を自分の物にした心の余裕からか、作家で年下の有島武郎とプラトニックながら激しい愛を交わしていたのである!
とは言え、晶子は最後まで“鉄幹の妻”として振る舞い、才能の涸れ果てた夫を支え続けた。

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DENNY喜多川

iOSアプリ「セックスの日本史」著者。「歴史は夜作られる」すなわち、セックスこそが歴史を作ってきた、との信念に基づき、研究を続ける歴史研究者。「知っているか?人間のペニスにカリがあるのは、他のオスの精子を掻き出すためだ!」